田之助に興味をもってからどれくらいたったんだろう。まさか、ここまではまるとは思わなかった。そして、ここまで本を出し続けるとも。わたしが描く田之助像はずいぶんオリジナルをふくんでいるのですが、(そもそも死んじゃってるんだから、だれがなにをやろうとそれはウソだけど)よく苦情など来なかったものだと思います。そのかわり、反応もあまりないのですが。

そう、田のさんすっかりバイですが。

あ、それは、みなさんも思っていたのかしら。だって、あの時代ってなんかとっても、やらしい。ってのは、共通認識?幕末の基本?
うつくしい男達が多い?
それは、梨園も一緒かもしれない。
当時初演された、演目を観ると、なんとなくわかる。
みんな、若くって、美しかったんだろうって。

飛びますが、今から30年くらい前の三之助ってそういう存在だったのかしら、と思います。菊五郎さんなんて、今では油も乗りきって、ホントにいい役者さんですが当時の菊五郎は、今の菊之助とはくらべものにならないほど、色っぽい。(今もね)そのお友達の辰之助もいい男だった。団十郎も案外色気があった。しかも、三人とも若かった。そして、その隣には、人気急上昇玉三郎、孝夫がいた。言わずもがな、超美形。
そして、バックにはきちんと、重鎮達が控えている。
幕末梨園はきっとこんな感じだったのではないかと、思います。

田之助に戻しましょう。
彼は、ニュートラルなバイだ。(断定)
あ、でもどっちかっていうと、やる方が好き。だって、女の方が好きだから。でも、飽きちゃってたんだと思います。芝居がオナニーでありセックスだったから。
だけど、不能では全然なかった。そこまで、思慮深くないのである。
女形は体力勝負、精神力もつかうので、スタミナ第一ということで、やる気は満々だったのだ。しなだれかかる女の風情をよくよくと見て、そしてやっちゃってたのでしょう。
まったくただでさえ、江戸ってフリーセックス時代なんだから、もてちゃったら際限がないよね。五代目も女房三人くらいいた様子。

じゃあなぜ田之助は女形だったんだろう。どうして、あんななんだろうか?
前に某女形が「わたしが女を演じるのは、樹木希林が老婆の役を得意とするのと一緒である」と言ってました。納得したと同時に、そんな回りくどいことを…と思ってしまったのも、事実。「男が(も)好きだから」もしくは「男と(とも)寝れるから」とか言った方がよっぽどわかりやすいわと思いました。このへん芸術を誤解してるって言われそうですが、そんなレベルの話でもあると思うのですよ。
その後日談として、その女形がみんなと飲みに行きまして、オカマの子に「最近ね、二丁目とかも行かないのよ、だってつまんないでしょ。だからね、うちらみたいなのはさ、もう古いのよぅ!」だって。
言ってみりゃあ、とても特殊な世界な訳で、旧幕の時分まで普段女形は振り袖を着て、女装をしていたのです。だから、そんな世界にいれば、自然とゲイでもないのにオネェになるよねってこと。今だってそうなんだから。でも、あのときは女の子も男の子みたいな口調だったから、あんまり大差ないんだけど。
なんでだろうか、うつったようにオネェになる。
大学の歌舞研にいたってそうなるんだから、業界の人なんてよけいなんである。
あーいう世界にいると、ふと性差が曖昧になる瞬間があるのだろう。重きをおいているのが、どっちかという問題でもある。実生活の方がまだまだリアルな今の若い役者は、だから役者っぽくなかなかならないんだろう。それでも、若くても歌舞伎役者は普通の役者よりも、しっかりした顔になっているんだけども。
絵のような顔。美しくてできあがってる顔。

ホントかウソか役者として、いろいろやっとけ!といいます。色気がないのは、男に腰が抜けるほどやられたことがないからだと言われた子(男)もいます。ほんとかよ〜じゃあ、みんなそうなの?とか思うと、恐ろしいことです。でも、ゲイになるには覚悟も必要なのよ、とも言います。映画プリシラとか観ると、それを感じます。(浅くてごめん…)異性相手でも、肥やしになるものだからノーマルなことばっかじゃダメだという事にもなるんですが、彼女とか奥さんはたまったもんじゃありません。彼にどれだけ女がいようと、その女達とどれだけ無茶をしようと、役者だからねで許されてしまう世界でもあるわけで。寺島さんちはホント大変ねとか思います。今はいろいろうるさいから、昔程じゃないけど、その世界は男の技量はそこで決まるってとこまで行っちゃうので、花柳界栄えた訳よとかしみじみ思ってしまいますねぇ…

はい、だから何が言いたいのかといいますと、精一杯の言い訳してるだけなんですね。内心びくびくしてるんです、ホントは。今もその子孫達ががんばってる世界だからね。結局、わたしが田之助をあんなにしちゃったのは、同人女の勘のみなのよ。所詮そんなレベルなのよ。

でもわたしが描く田のさんは、五代目菊五郎(羽左)にしか反応してないけど。次点で四代目芝翫てのもあるんですが。
四代目芝翫はこないだ亡くなった、歌右衛門のじいさんです。(血はつながってない)六代目梅幸(五代目菊五郎の養子)なんかは、それでも田之助を参考にしている部分もあったそうですが、時代も明治末くらいになりますと、田之助風芸はすっかり落ちぶれて、小芝居に行っちゃってるので、近代の女形が主流になってくるんですね。こないだ亡くなった大成駒なんて、まさにそういう存在でした。
また、話が飛びました。

今現在の歌舞伎界、完全に世代交代の時代に入りました。こうして目の当たりにできるとは…というか、大成駒なんて「あたしはいいから、みんなで踊ってちょうだい」という時(えーでもあれで9年か10年前だぞ)しか観られなかったし。九代目三津五郎の踊りでは寝てたし。でも七代目梅幸の政岡は観られたぞ。寝てたけど!
ああ、明治末に団菊左が相次いでなくなり、昭和の真ん中では六代目菊五郎(五代目の実子)はじめ当時の名優たちがなくなったのを思い出して、そういう風にして世代交代してくのかとしみじみ思いました。いつの世もそりゃあ昔の方がよかったという爺婆はいますが、(確かに 戦後の梨園の名優揃いはスゴイ)今は今でいい感じのような気がします。また新たな歌舞伎を創造していくチャンスだしね。きちんと見極めた役者を観てると、おおぅと思いますもんやっぱ。
だから菊五郎は好きだ。団十郎も。勘九郎もちょっとアレだけど、やっぱスゴイと思うし。
じゃあ、他に誰がいるの?という話になるし、否定するのはつまんないです。リアリティある歌舞伎って五代目がさんざん(九代目も)追求してたし、(五代目は川上音二郎登場の時に、そんなん俺たちが散々やっていることじゃねェかとたいしたショックもうけなかった様子)その昔の南北だって近松だって考えてたんだ。生ものとしての人間を型だけで語るのは、なんとも狭い気がするよ。古典って本来それだけの意味じゃないと思うわけです。
だらだらでもきちんとでも歌舞伎は楽しいから、観ていきたいなあと思うのでした。

そして、田之助もね。

余談ですが、わかりやすく言うと、田のさんは勝新なんです。あ〜わかりやすいね。

田之助の命日、2004年7月7日。(この文はいつだかのペーパーの文章を加筆修正したものです)


○描かれた田之助に関して
三代目澤村田之助をあつかった最初の作品は、明治十三年に発行された「田之助曙草子」ということになっているが、田之助はいわゆる当時の芸能人だったので噂なども多く、残っている文献のエピソードがはたして事実であったのか、どうもあやしい感じがする。それよりも、江戸時代に実際に田之助を書いた戯作などはなかったのだろうか?

田之助のよく目にする噂話は、十代はじめからパトロンだった上野寛永寺の坊主(三百両の万年青をプレゼントしたことで有名)が、田之助に入れあげすぎて破門になり、しまいには縁を切られたという話と、小静(名前も曖昧である)という芸者が田之助の子をはらんだが、憶えがないとすげなくあつかわれ、子供は流れ小静は憤死してしまったという話である。この二人の祟りで田之助は足を痛めたのだそうで、病床田之助はこの小静の位牌と祝言を上げたとか。坊主に関しては、晩年の地方巡業の際、夜中壁に向かって叫ぶ田之助が目撃されており、それが定説の田之助エピソードになっているようだ。
この辺の話は江戸時代の戯作等で取り上げられてもおかしくないと思うのだが、幕末・明治初期の動乱と不景気で、かつてのような創作活動が行われなかったのか、または維新・震災・大戦による消失によるものか。それ以上に田之助はマニアが多いらしく、なかなか世に出ないため、わたしは未だに見たことがない。位牌と祝言を上げたことが、圓朝の人情話になったくらいだろうか。
江戸時代の艶本で比較的よく見る役者は、田之助の一世代前の七代目岩井半四郎や三代目坂東三津五郎、五代目瀬川菊之丞などである。二代目田之助が坊主と絡んでいる春画もあった。今で言うナマモノである。当時はそれをプロの作家が書いて、人気が出ればシリーズ化になるなどかなり盛んに出版されていたようだ。内容も様々で役者同士の同性愛ものから恋人との睦言、芝居のパロディなどなど。その役者が亡くなったあとも人気があれば出版され続けた。現代のような著作権やパブリシティ権などがない時代である。役者も人気のバロメータとして見ていただろうと思われる。
流行したと言われる田之助紅、田之助下駄、田之助髷とかつては七割以上の役者絵は田之助だったなど、文字ではいくらも見るこの事実がどれだけのものだったのか?メディアの中での田之助の人気を伝える具体的な物を、実はわたしは知らない。現代でもタイアップなどは非常に有効な手段であるが、その裏には非常に飽きっぽい性質をもったファンがおり、田之助が中央から消え去ったようにその品々もなくなっていった。しかし現代において、佐幕派の志士たちのように真実は美化され、当時の世相と世情を飛び越え、芸術に殉死した田之助の姿を、一ファンとしてうれしくも複雑な気分で眺めてしまうのである。本当の田之助とはどんな人物だったのだろう…